昨晩の睡眠は満足できるものでなかった。今日は昼明け、3講目からのスケジュール。鮎川まどかは2日前、春日恭介が早川ミツルと遭遇した付近を歩く。昨日より湿気を含んだ5月。彼女は首を五月蠅そうに振って、髪のウェーブにまとわりついた空気を解き放った。
「よぉ、まどか」
スターのBMWはよほど、この場所がお気に入りのようだ。助手席に春日あかね曰く、“最近売り出し中のなんたら”を乗せちゃったくらいにして、今の彼はフォーカスなど怖くもないらしい。
「髪型変えて、何かあったのか?」
「別に。スターさんはお仕事しないで彼女とドライブ?。いーご身分ね」
「まぁ、そう突っかかるな。どーだ?。調子は?」
「まぁまぁ、ってトコ。じゃ、あたし講義があるから、バイバイ」
「ちょっと待てって。お礼くらい言ってくれてもいいんじゃないか?」
「お礼?」
「なんだ…まだ、効果が現れてないのか…………」
つかつか。ぐいぃ。
「何の効果?」
「み、耳も一段と、冴えてるじゃないか…」
ぎゅぅぅ。
「は、放せ、い、言、から…」
まどか襟締め。一本!。
(ニューウインドで開きます)
「…と、いうわけだ。どうだ?」
ドガッ。
「わ!。何するんだ」
「今度、恭介にデマカセ吹き込みやがったら、こんな…こんなモンじゃ、済まないよ!!」
「おい、まどか。ちょっと待てよ。おいってば!。…なんだ、アイツ…せっかく気を利かしてやったのに。そんなに怒る事なのかぁ?。あ〜ぁ、また、ヘコんじまったじゃないか…」
窓枠から乗り出してBMWのドアに降りかかった災難の痕跡を確認する早川ミツル。彼にとって、この周辺は鬼門に違いない。先日だって、“あの凶悪なオンナ”にやられ、レストアしたばかり……………
「なるほどぉ、そーゆー事だったんだな♪」
「わぁ!春日のイトコ!」
「スターさんは、まどかちゃんを狙ってるんだ?」
「ち、違ぁ〜う!。俺はアイツの、鮎川まどかの才能に惚れてるんだ!。アイツの音楽は春日への想いから生まれてくる…磨きを入れてやりたい…………そう、思ったまでだ」
「んで、蹴り、入れられちゃったワケね」
「そーゆー事。俺に下心があるように見えるか?」
「全然、無いとは言えないだろ?」
「………………………」
全然無い…いや。
早川ミツルの目線はハンドルの曲線の上で停止した。彼の記憶に焼き付いているシーン。今は距離を置かなければならなくなってしまった恋人とのカット。
『へっ、俺は純粋なモンに結局、全然、縁がないんだよ。シオリ、これが…俺の正体さ…わかったろ?。節操が無くて、オマエを幸せにするとか抜かしておいて…』
『違う!。カズト!。全然なんて事…違う…よ…』
ガスッドガッ。
累積合計4発。鮎川まどかを追って走り去る春日あかねがBMWのドアめがけ2発、蹴りを追加したのだ。早川ミツルは衝撃音に眉をひそめた。が、彼はあかねを呼び止めはしない。いいんだ。車なんてリペアーだろうがレストアだろうが、すればいい。修復できない、どうしようもない事を悔いることに比べたら、安すぎる買い物…痛くも痒くもない投資………………フッ。
「俺は…あきらめないぜ」
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