「着いた着いた。ぃよ〜し、ホテルにチェックインして、ひと泳ぎしよっかぁ!」
「…………………」
「って、言いたいところだけど、このままじゃマズイよね?。やっぱし。なはは」
「あったりまえでしょ!」
トロピカル・ムード漂う空港のロビー。パサッ、パサッと情熱的な色彩の花束を現地娘に被せられ、歓迎を受ける日本人の若い男女が2人。男言葉と女言葉をあべこべに使ってちょっとばかり途方に暮れている。やれやれといった表情の彼氏。すまなさそうな彼女。助けてくれという誰かの叫び声。
「何?。何の騒ぎ!?」
何処の空港にも不逞の輩は居るものだ。10秒ほども出番のないアニメの悪役のよう、典型的にけしからぬ顔をした男が人質を盾に警備員を威嚇しながら、ロビーを出口へ向かって逃走している。その先に2人がいた。ハプニングも2人を歓迎してくれているのだ。
「お、おい、まどか…」
1人の青年が歩み出た。不逞の輩は行く手に立ちふさがる青年を見定めると、不届き者らしく『ちっ。優柔不断そーなツラしやがって、余計な事しやがると、決断さすぜ!!』という意味の言葉を字幕に吐き捨てた。そして、やにわに人質を放すとスペツナズ・ナイフの切っ先を青年に向ける。むむ、初心を忘れ開き直るとは、ますますもって不埒千万な輩ですこと。
もはや字幕いらずのシチュエーション。出すぎた真似さえしなければ…彼女の前だからってカッコ付けなければよかったのに…どうせなら南の島で彼女とあ〜んな事やこ〜んな事してから…哀れ悲壮な結末が、青年の身にギラリとした殺意とともに襲いかかる。
ガッ。
死必の凶刃は青年の繰り出した回し蹴りに跳ね上げられていた。暴漢がひるむ…。刹那。青年は暴漢の間合いに飛び込むや、背後に回り込んで自身の腰を沈め、暴漢の腰をガッチリと抱え込んだ。
こ、この態勢は?。
禁じ手のフィニッシュホールド炸裂?。
極彩色溢れるこの島の景色に慣れた人々の目にも鮮やかな柑橘系の閃光でもって、華麗な半弧を軌跡するつもりなのかぁ〜って、ちなみに、ここのフロアは大理石…
残暑お見舞い申しあげます。
両目を覆った手指の隙間。オレンジ・スープレックス・ホールドが暴漢を安寧に葬っていた。ワン、ツ〜、スリィィィ〜。芸術は失神、失神こそ芸術だ(おい)。ロビーはやんやの歓声に包まれる。青年は一介の優柔不断風観光客から一躍、ヒーローになっていた。
>>そそそれは…。くるみが入れ込んでいるプロレスラーのような身のこなしだったのであり。パワーなんか使わず、暴漢をねじ伏せ、美女を助けちゃう僕の姿…、あんな風に鮎川まどかを守れたらと。腕力に自信のない僕は、今もそう思い続けているワケで。
1人の女性がヒーローへ歩み寄る。元人質…現実とは時に運命を錯覚したくなる展開を用意しているものだ。
上品なウェーブをかけた栗毛のロング。
目元涼しく鼻筋とおった端正な顔。
身の丈170センチ以上。
透き通るような美白。
もち、ブルック・シールズ嬢よろしく均整の取れたプロポーション。
そして、美女の必須アイテムである神秘的な瞳が…潤んでいる。
「んぐ?!」
不覚。美女の前で隙を見せてはいけない。間合いに踏み込まれ、とかく、いろいろなモノを奪われるからだ。この島の風習に初対面の男女がいきなりディープに舌技を確かめ合う、と観光ガイド雑誌に載っていたら心と舌の準備ができたのに。もっとも、そんな風習はないんだけど。
「んんーーん、ん"ーーーーーー、ぷはっ。は、は、はぁ〜」
「あ、ごめん。久しぶりで加減を忘れちゃったわ♪」
流ちょうな日本語。加えて、庶民的な獲得形質と見た。容貌と不釣り合いなスキル。確か、先刻の叫び声も日本語だったよな…接吻の不意打ちによって、そう納得する余裕すら奪われた青年、鮎川まどかである。言わんこっちゃない。
「ありがとう。じゃ、さよなら!」
「ちょ、ちょっと!。まいったな………」
観衆のボルテージは頂点に達していた。ロビーは何処ぞの国のB級アクション・コメディーにポップコーンをまき散らす映画館へとトリップした感覚に満ちた。だって、ヒーローからギブアップを奪い、名前も告げずに美女が走り去って行ったのだから。皆、この映画の冒頭を見ただけで結末が思い描けてしまったからなのだった。きっとこれは運命の出逢いなのよ…やがて、3人はトライアングル…どーやってケリを付けるつもりかしらん…わくわく、ってね。
「いよっ。この色男♪」
「連れの彼女が野次馬になってどーすんのよっ!!」
とにかく。
身体を元に戻さない事には、どうにも落ち着きの悪い2人。
さっさとホテルにチェックインして一発ヤリましょうよ。
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