鮎川邸。21時。2人は音楽など聴きながらソファーに身体を沈ませ、今日の出来事を振り返っているところ。
「ヒロと意気投合してたみたいだけど、オレが教授を迎えに行ってた間、なに話してたの?」
「誰かさんの中学一年時における悪行の数々」
「お、おいおい…」
「なかなか可愛らしいエピソードだったよ。坊主刈りの一件とか」
「うわちゃー。ヒロのヤツ!」
鮎川まどかはクスと吹いた。恭介いじりは彼女の元気の元である。
「オレの能力の事、何か言ってなかった?」
「その事なら心配ないよ。突発性の落雷だったのに恭介クン疑われて可哀想だった、ってサ」
「じゃぁ、やっぱりヒロは雷だと思ってたのか。そっか…」
「今、引っ越さなければよかった、って思ったでしょ?」
「う?。うん。あはは。でもさ、あの時、引っ越さなかったらその後の未来は変わっていたと思うんだ。そしたら、まどかに逢えなかったかも知れない。だから、引っ越してよかった」
鮎川まどかの瞳は深く春日恭介を映し、次の瞬間、彼女は抱えていた『カッパネコ抱きクッション』を恭介へ投げつけた。ばふ。格好いいこと言っちゃって。
「いたた…。にしても、中学時代は「ボクボク」言ってたのに。ヒトは変わるもんだよなぁ…」
「キスした後も『鮎川鮎川』言ってたヒトが、そんな事言っちゃって?」
「まどかだって『春日クン春日クン』言ってたじゃないか。お互い様です」
「♪〜」
鮎川まどかはスピーカーから流れるアルトサックスのフレーズにあわせてハミングしつつ、ソファーから立ちあがった。
「あ、逃げる?」
「明日は早いんだから。帰ってね・な・さ・い」
「え、でも」
「でもなに?」
「いや、…だから…ネ?」
「あ。そうか(ポン)」
「そうそう!。それですそれです」
「ちょっと待ってて」
鮎川まどかは小走りにキッチンへ向かった。春日恭介は真意が伝わったのかどうか、首を傾げる。
「え?。もうあんまりというかほとんど待てないんですけど…」
トレイにロックグラス、氷と水、バーボンのボトルを乗せ、彼女は応接間へ戻ってきた。にっこり微笑みテーブルへと置く。
「わぉ。ターキーの12年ものじゃないか」
「それ飲んだら、ちゃんと鍵かけて帰ってね。明日、集合時間に遅れるなヨ。じゃ、おやすみなさい」
まどかは恭介に背を向け、階段へ向かってすたすた歩き始めた。彼女の寝室は2階。
「え?。ちょっと待ってよ。違うんだ。お酒なんかどーでもよくって、最近全然…ほら、…ああもう!」
まどかを追って走り寄った春日恭介の手が彼女の肩に触れようとした瞬間、まどかは立ち止まった。彼女は階段の手すりに手を添え、恭介へは背を向けたまま、告白をする。
「ごめん。ちょっと考えたい事があるんだ。アタシ、恭介といると安心しちゃうから。それで自分を誤魔化してしまうかも…。だから、今夜は独りで考えたいの」
「………」
「じゃネ」
「まどか独りで苦しむのはナシだよ。全部まどかが背負い込んじゃうのはナシ。いい?」
鮎川まどかは振り向くと、恭介の間合いに滑り込み、彼の唇を奪った。優しくふれあうように確かめ、今日の別れを告げる。
「ありがと。深刻な事じゃないんだ。だから心配しないで」
「そ、そう…」
深刻な事じゃない、心配しないで、などと鮎川まどかが口にしただけで十分、春日恭介にとっては深刻な事態に思えただろう。去り際まで心配そうな瞳をして、彼は一滴も飲まずに帰っていった。寄り添いあおうとする身体の火照りを我慢しなくてはならない夜もある───。
「ちょっ…と、失敗しちゃったな…」
反省。まどかは自室の灯りを消し、窓辺にもたれていた。嘘吐きに徹するなら、彼に求められたとき、答えはYESでも良かった。けれど、彼が肌に触れたら何もかも吐露してしまうと思えた。彼の温度にきっと負けてしまう───波だった心を鎮め、彼女自身に『これからの事』を納得させる時間が欲しかったのだ。
「コラ、鮎川まどか。しっかりしろ」
鮎川まどかが思いたたずむ街の灯りを、春日恭介も眺めているだろうか…。春日家のマンションを覗いてみよう。
「お兄ちゃんの寝言すごいわね。まどかさんと何かあったのかしら…」
「まろかーまろかーって、おあずけを喰らったんじゃない?。お兄ちゃんってバーベキューで、お肉は焼くんだけど食べよーとしたら、ぜぇ〜んぶ他人に横取りされるタイプよね」
「くるみちゃん今、さらりとスゴイこと言ったと思う…」
「欲求不満クンめ。えい!(ギュイーン)」
「なにしたの?」
「ベッドごと屋上へ移動してもらいました。このままじゃ眠れないもん。。ちゃ、おやすみなはーい」
「屋上…ま、今夜は満月だし、欲求不満のオオカミ男が1人くらい吠えていても問題ないわね。わたしも寝よ」
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