超常現象研究室。20時。在室状況を掲示するマグネットボードは、鮎川まどかと春日恭介の【帰宅】を表示している。
「いやいや。まさか春日クンがひろみの古い友人だったとは…」
「あら。おじさまが驚くような現象だった?」
「霊体の存在する位相よりもヒトが生存する位相のほうが奇妙であり、現実に起こる現象こそがミステリーという事だよ」
「そうかも。ふふ」
「ひろみの目から見てどうだったかね、あの2人は?」
「うらやましい…かな」
「ほぅ?。ひろみはパリに彼がいるのだろう?」
「研究を日本で続けたい、だから帰国する、って告げたらフランス語でフラれました」
「なんと!。ひろみを泣かすとはゆゆしき馬の骨め。よし。マダガスカルに伝わる呪詛グッズの効力を試してやろう。セーヌ川のサカナの餌食にしてくれる。何かその相手にまつわるものを持っていないか?」
「もう、おじさまったらそればっかり。前回はたしか、タスマニアの動物霊を憑依させてやろー、でしたよね?」
「ああ、あれか。あれは虚説であった。だがしかーし!。今回のは豊漁を願う儀式をルーツに持つ呪技でな、これがなかなかどうして」
「ダ〜メ。今回も呪詛はナシです。いずれは別れる事を前提におつき合いしていましたから、計画通りなんですよ」
「おいおい、そのセリフを母上が聞いたら泣くぞ」
「あ。母には内緒。おじさま言っちゃダメですよ」
「わかっている。ひろみの恋の履歴書は墓まで抱いていって誰にも漏らさぬ約束だ」
「ふふ。そんなたいそうな履歴書ではないのに?」
「いやいや。一大事だ。ずっと守り続けたい、と思える約束事を1つ持てたことに私は感謝しているのだからね。この身滅ぼうとも違えることはない」
えっへん、と大袈裟なアクションをつけて胸を張る杉教授の横顔に、杉ひろみは瞳を細めた。開け放った窓から夜風が吹き込んできて彼女の髪に絡む。
「にしても、向こうで最先端の研究をつづける意志はない、か…勿体ない気がするな」
「もう決めたんです」
「私はひろみの父親ではないが、人生の先輩ぶって偉そうに言うならば、だ」
「おっしゃってください」
「今は思うように生きなさい。それができる“今を”大切にしなさい」
「はい。そうします」
「よろしい。外連のない返事だ。大学を移籍することはお母上にお知らせしたかね?」
「また一緒に暮らせると子供のようにはしゃいでいました。元気元気で。おじさまに逢いたいと言ってましたよ」
「そうかい?。ひろみのお母上とは逢うたびに緊張してしまうよ」
教授は目を覆うように額へ手を添えた。年甲斐もない、といった仕草なのだろう。彼はきっと赤面している。
「ところで、後期から正式に編入は可能でしょうか?」
「無論だ。若く有能な学生を自費研究生扱いになどさせないよ。学生課の連中はやれ規則、それ前例がないと抜かしおるが、おぢさんパワーの前では全くの無力だ。任せておきなさい。奨学金もノー・プロブレムだよ。わっはっはっは」
「とか何とかおっしゃって…ホントは式神使って」
「おおっと!。それをあの2人に言ってはならんぞ」
「あら、どうして?」
「ここ数年、我が研究室には若い身空で人生を悲観したような学生ばかりが集まり、閑古鳥が鳴くどころか、霊体すら寄りつかない有様だったんだ。そこへあの2人が入室を希望してくれた。今はまだ仮入室の段階ではあるが、2人によって生気がもたらされ、賑やかになった矢先なんだよ。気味悪がられて余所の研究室へ鞍替えされたら寂しいからな」
「ふふ。それはないと思いますよ。たとえ、バレたとしても」
「そうかね?」
「ええ。あの2人肝がすわってると思います。特に鮎川さんは…」
「鮎川クンか。彼女は不思議な学生だな。恋人と一緒の研究室に入りたいだけ、というような浮ついた動機で入室を希望したのではないと思ってはいたが…。テーマの選定にしろ、既に彼女は決めているフシがある」
「おじさまが予想する、彼女が希望するだろう研究テーマは何でしょう?」
「ズバリ超能力者だな。ひろみの研究対象と同じだ」
「やっぱり…」
「やっぱり?」
「え?。あぁそれは今日、彼女、超能力者に興味があるって言ってたからです。ええ」
「なんにせよ研究をする彼女はガッツの塊だ。気絶しても気絶しても立ち向かって行く。時には自虐的なほどに。まさに火の玉ギャルだよ」
「ギャル?。死語です」
「そ、そうか!。わははは」
「お……さま…」
「ん?。あぁ…お月様か。今夜は満月だな」
「…そうですね…」
「シビエールの仮説が正しければ、能力者の術力活性が極大値を刻む月齢だ。どれ、あの月へ向かって吠えてみるか」
「“模擬行動の反復により誘引される後天性ゲノマトランス症候群”の仮説証明ですか?。いいですね!。吠えましょう!」
「ぉぉぉぉおおおー!」
「ほぉぉーー!」
2人は吠えた。満月が浮かび上がらせたキャンパスで2人の遠吠えが絡み合ってこだました。どこまでも柔らかく寄り添い、染み渡ってゆくように。その優しい時間がキャンパスの灯りと闇のさざめきへ融合していったのだ。
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