春日恭介が杉教授の寝起きの悪さに手こずっている頃、杉ひろみと鮎川まどかは研究室にいた。2人は恭介が仕入れてきたアバカブ・ブレンドを一口、すすったところ。
「あ。このコーヒーおいしい。コクも酸味も絶妙ね」
杉ひろみの感想を聞き留め、鮎川まどかは軽く吹いた。
「あら、何かおかしかった?」
「そのコーヒーを初めて飲んだとき、教授も同じ事を言ったの」
「おじさまも?。…………そう…」
杉ひろみの瞳がコーヒーの褐色へと落ちた。鮎川まどかにはひろみの表情が柔らかく微笑んだように見えた。ひろみはコーヒーに視線を預けたまま、語りかける。
「鮎川さん?」
「はい?」
「手短に言うような、事ではないんだけど…聞いてくれる?」
「ええ」
「わたしね、貴女と同じように恭介クンが能力者だって知っているの」
「!」
「でも誰にもバラしたりしないと誓うわ。もちろん、おじさまにも内緒。だから安心して」
「う、うん…」
「それともう一つ。貴女にわたしの正体を知っていてもらいたいの。一方的に秘密を握っているのは不公平でしょう?」
「ひろみさんの正体?」
そのとき研究室の電話が鳴り、2人の会話を遮った。外線のランプが点灯している。
「相手は春日あかねさん。用件は春日まなみさんの慰労をかねたバーベキューのお誘い。日取りは明日。場所は湘南海岸。水着必須ね。貴女は“参加する”と答えるわ」
「……………」
鮎川まどかは用心しながら受話器を取った。全ては杉ひろみの予言した通りだった。会話を終え受話器をおき、まどかはひろみへ視線を流す。ひろみはコーヒーカップに指をかけ、微笑んでいた。
「これは、おじさまにも恭介クンにも秘密よ」
「どうしてアタシに…?」
「貴女でなければならない、という理由で今は許してくれない?」
「アタシでなければ?」
「そう。貴女でなければダメなの。時が来たら全てを話すわ。ただそれがいつになるか、わたしにも判らない。これからの研究次第なの」
鮎川まどかは瞼を閉じた。彼女には赤い麦わら帽子が見えている。超能力者という運命を背負った彼、春日恭介の苦悶を想像するとき、彼女には1つだけハッキリと言える真実があった。
「うん、…わかった。ありがとう、ひろみさん」
「え?。お礼を言うのはわたしの方よ?」
「とっても大切なこと…逢って間もないのに打ち明けてくれたから。アタシにできることは何でも言って」
杉ひろみは、鮎川まどかと春日恭介の2人が過ごしてきた時間の密度を感じていた。それは彼女の予想通りだったのだが、実際に鮎川まどかと対峙して、まどかの放出する温度を感じたのだ。それは、ひろみの心に暖かく浸透してくるような温度だった。溜息が漏れるほどに。
「じゃぁ、明日のバーベキューにわたしとおじさまを誘ってくれるかしら?」
「ふふ。もちろんよ」
2人はお互いをもっと気安く、アユ、ヒロと呼び合うことに決めた。昔から良く知っている友人のような、そんな連帯感が芽生えていたのだ。2人に共通する、心の響きに正直な感性が、互いを呼び合ったのかも知れない。
「ね、アユ。恭介クンは中学一年生の頃の話をする?」
「ううん。一度もしたことないの。なぁ〜んか隠していそうなんだけどね」
「そう。じゃ特別に教えてあげる。恭介クンに腹が立つ事があったら、ネタにして絞り上げてやるといいわ」
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