春日恭介は大学の正門脇にある守衛詰所を訪れていた。先客がいる。その女性は外来用の仮入構証を発行してもらっているようだった。初老の守衛さんと親しげに会話しながら彼女はボールペンを走らせている。
「お嬢さん。うちの息子の嫁にきてくれませんかねぇ?」
「飲み友達を呪詛したら、おじさまも寝覚めが悪いでしょうね…」
「そ、それは勘弁。今の発言、教授には内緒にしておいてくださいよ?。あのヒト、お嬢さんの事となると、容赦ありませんから」
「ふふ。…っと、これでよろしいですか?」
春日恭介は順番待ちをしながら頬の汗をTシャツの袖で拭う。そして止まらない汗を感じつつ、学生証を紛失してしまったことを今更ながらに後悔していた。暑い──暑すぎる──いっそ使ってしまおうか───いやいや、もう少しの辛抱──研究室はクーラーがこれでもかというほど効いている──我慢我慢。
「あら?」
後ろ姿だった女性が振り向いていた。彼女の手続きは完了したらしく、胸に外来用の仮入構証を留めている。
「あ、キミは昨日の…」
「また逢えたわね。春日恭介クン?」
「え?。オレの名前」
「はいコレ。落としたの。あのときに」
「あ。オレの学生証…」
「届けようと思ったんだけど本人がいるなら直接渡した方がいいわよね」
「ありがとうございます。助かりました」
「理学棟まででしょ?。ご一緒に行きません?」
「あ、そうか…学生証見たんですよね…。行きましょう。すぐそこです」
夏期休暇中の人もまばらなキャンパスを歩きながら、もしかして今日はちょっとツイてるかも知れない──春日恭介はそう思った。紛失したとあきらめていた学生証が戻り、しかも、拾い主が知的な雰囲気と艶っぽさを絶妙のバランスで同居させている、とびっきりの美人ときた。
「リュック。重そうですね。何が入っているのかしら?」
「あ、これですか。コーヒー豆とかノートとか、恐山の霊体研究所から借り受けた探知機とか、あと、カメラなんかが入ってます」
「エッチな漫画とかは?」
「そ…。そんなモン入ってません!」
「あら残念ね」
くすくすと吹き出す美女。隣り合って歩く春日恭介は新鮮な違和感を感じていた。彼女が鮎川まどかより、やや小柄であった故なのか、まだ名前も訊いていないのに親しげな質問をされた故なのか。こうやって浮気心というのは芽生え…ないことを祈る。
「ここが理学棟です」
「形而上自然科学科はどちらになるかしら?」
「え?。形而科ならB棟の3階です。僕もそこへ行きますからご案内しますよ。なんだか奇遇ですね」
「奇遇?。そうね。ふふ」
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