「春日君おまちどう。当店自慢のブレンド用コーヒー豆、焙煎済みで300グラム」
「いつもすみませんマスター。これ、お代です」
春日恭介がカウンターに差し出した封筒には彼の所属する大学の研究室名が印刷されている。中身は研究室に所属する皆がポケットマネーを出し合ったお金。この費用でお菓子や飲み物を研究室に補充しておき、研究室を訪れるお客さんにお出しする、というのは建前で、実際のところは研究中に小腹がすいたり喉が渇いたら、いただきまーすというわけ。だから来客がなくてもコンスタントに物資は減るのである。
「にしても、まどか君らしい注文だね。研究室のコーヒー豆の残りをマメにチェックしてる、なんてさ」
「本人にその気はサラサラないんでしょうけど、もうしっかり、研究室の雰囲気を仕切っちゃってますから」
「ほぅ?。はは。じゃぁ、さながら春日君は、影のフィクサーってところかな」
「え?。どういう意味ですか?」
「春日君が気持ちよく、たとえばこうやって、まどか君の頼みをきいてあげるとする。すると、まどか君は機嫌良くコーヒーを飲み、元気になり、知らず知らずのうちにまた仕切ってしまう、という構図」
「つまり、ループしてるんですね。そっか。そうだったのか…」
春日恭介の眼差しが真剣な輝きでもってコーヒー豆の缶の蓋へと落ちた。それを見てマスターは吹いたのだ。涙目になるほど。
「え、そんなに可笑しいですか?」
「あぁ、すまない。嬉しくてね。意識せずに大切な人を幸せにしてしまえる、なんて素晴らしい事だろう?。まどか君に限って言えば、それは春日君。きっとキミにしかできない事なんだよ」
再度、春日恭介の眼差しはコーヒー豆の缶の蓋へと落ちた。笑みを噛みしめるように数秒、留まって彼は顔を上げた。彼の視線には『さぁ、行っておいで』と微笑む髭面の祝福がある。
「行ってきます!」
彼は強い陽射しの元へと出ていった。その姿を見送って、マスターはエアコンの温度表示を確かめた。26度。それにしては暑い、といった表情で彼はつぶやきを零す。
「あてられたかな…。ふ、夏だねぇ」
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