『こ……すご…』
聖リヒドの大樹が立つ丘は静まり返っていた。主人公も絶句したので静寂を乱すことはなかった。眼前の光景がその理由を教えてくれる。ふもとからリヒドの大樹が立つ頂まで、一面に敷き詰められたクローバーの絨毯。その柔軟の上、累々と帝国軍の兵士達が倒れ、全員が全員、見事な太刀筋を抱き、まるでクローバーの精霊が歌う子守歌に聞き入っているよう安らかな表情で───事切れていた。
『これは“癒しの剣”の太刀筋だな。剣技トリプルAの剣士様ってワケか。……………………けど、この人数を独りで相手にしたんじゃ、さすがに生きてなんか…』
『いるよ!』
『ぁくっ!』
紅の閃光が主人公の間合いへ飛び込んできて、彼のつま先を地面へ捻り込むように踏み抑えた。頸部の柔らかい箇所へピタリと寄せられた物質が金属的な低温でもって、抵抗するなと要求している。
『はん!。たかが魔導士1人でアタシを討ち取ろうってゆーの?。いー度胸してるよ。誉めてあげる!』
『お、女?!』
───張りのある透き通ったヴォイス。視線が合った───前髪の隙間から、キッと上目遣いに見定めている深く神秘的な瞳の艶。紅革のバトルジャケットに金鋲で打ち止められた鉄甲が機嫌悪そうに鳴った。
『遺言はそれだけかい?。じゃ、逝きな!』
『ちょっ、待っ、ウェイッ、ターーーイム!。オレは敵じゃない!』
『油断させといて不意打ちするんでしょ?。このヒキョーもの!』
『ち、違うってば!。キミの事、助けてくれって、栗毛の召喚士に頼まれて来たんだよ!。だから切るな!。癒さないで!。お願い!』
『……………くりげ?』
『ショートカットでおっきな瞳の…あぁ、名前訊いときゃよかったな…キミの事、姉も同然だって。そ、そうだ!。これ!。あの娘から預かってきた。お守りだって!』
『エターナル・ペンダント…』
『キミがもし…………その時は、この中に封印されてるネクロマンスの禁呪をかけてくれってさ。人間としての生を失って、たとえアンデッドになっちゃっても、キミともう一度逢いたいって…いい娘じゃないか』
『…どうやら、ホントらしいわね』
剣士はパッと後方へ飛び退き、癒しの剣を背中にしょった鞘へ収める。けれど、剣の柄を握った手はそのまま。
『ふぅ………助かった…』
主人公はやっと、剣士の全身を一目に収めることができた。ごつい編み上げのバトルブーツ…汗で光っている脹ら脛と太股…股下の際どいところから裁断されたパンツ…おへそがチラリ…紅色で統一した装備…長い黒髪には天使の輪。剣士様は17歳ほどの少女。
『まだ全面的に信じたワケじゃないからね。こんな所へたった独りでワープしてきたりして…全身黒ずくめだし、怪しいんだからっ!。いい?。妙な事したら』
『しませんしません!。キミと安全なところへ避難するだけです!。ホントーにホントーです!』
少女は剣の柄から手を離したものの、『どうだか?』という視線を送っている。主人公は観察の度が過ぎたことを察知し、この空気を変えねばと切り出した。
『………そ、そうそう!。メビューズのみんななら無事にタマンの河を渡ったハズだよ。もちろん、あの娘もね。さ、オレ達も』
『そう………………………………………よかった』
プツン。不意に糸を断ち切られた操り人形のよう、少女の五体はクローバーの柔軟へと崩れ落ちた。
『き、キミ!』
細く綺麗な五指が開かれ主人公を制止している。それ以上、近寄るなというのだ。彼女は、自ら囮をかって出て、救援の希望も無くこの丘で死を覚悟していたほどの気丈。きっと、生と死を見切った、よほどに場数を踏んだ剣士。何かしてあげたいと思うのは出過ぎた事なのかも知れない───。
『ごめん…ちょっと疲れちゃった…休ませて』
『あ、ああ。ワープは身体に応えるから、飛ぶ前に少し休んだ方がいい。………………っと、水。飲まない?。これ、タマンで汲んできたんだ。ホントかどうかわからないけど、あそこの水は疲れを癒す効果があるって、何処かで聞いたことがあるんだよ。だからさ…』
水筒を差し出す主人公を見る少女の視線が先ほどより少し和らぐ。彼女は横たわったまま、丘の斜面の上方に頭がくるよう、身体を捩らせた。その動きを見た主人公は少女が次に言うセリフを予感できていたに違いない。
『ありがと。手、しびれちゃって…飲ませて…』
ふくみ損ねた水が少女の唇から零れ、彼女の首筋を濡らしていた。主人公は彼女の唇と肌に見合うものを反射的に探す。そして、彼の持ち物の中で一等、清潔で柔らかいと思える消毒用の綿を取りだし、彼女の口元と首筋の水気を拭った。
『もう、ダメだと思った…』
そんなセリフ尻から始まった小さな震えが少女の5体に伝播し、次第に大きくなって彼女の装備が摩擦音を立て始めた。
『だいじょうぶ。もう、だいじょうぶだよ。何も心配いらない』
悪夢にうなされる幼子をあやすような行動。額に主人公の手のひらが乗った瞬間、少女の瞳が慌てたように瞬いた。が、主人公の手のひらが額を一撫ぜする度に、彼女は安堵の表情へと堕ちてゆき、やがて、震えが収まると眠そうな瞳をした。頬に紅が浮かんでいる。
『あのさ…取って欲しい物があるんだ』
『いいよ。どれ?。どこにある?』
『ここ…』
『あ…』
少女が目線で指したもの。それは、バトルジャケットの下。バトルブラで寄せて絞め上げた双丘の谷間に挟まれた1本のシガレット。透明なラップで1回ほど包み、防水加工が施してある。
『それ取って、くわえさせて…』
『え…で、でも…』
『他のトコロに触ったら、たたっ斬るよ。はやく!』
『………………………』
『何?』
『いいえ、なにも』
───どうしてこうもコロコロとネコの目が変わるように態度が変わるものかな───。主人公はそんな事を考えつつ、注意深くラップの上からシガレットの先端をつまんで谷間から引き抜いた。血と汗で濡れたラップを剥がす。剣士のお気に入りはケビン・マイルドのようだ。クシャリと曲がっていて、くぐり抜けた戦闘の激しさ、胸の谷間の圧力を物語っている。
『あ。なんかエッチなこと考えてるな?』
『か、考えてないって!。ほら…』
主人公はまだ胸の体温が残るシガレットを少女の口元へと寄せた。彼女の艶やかな唇がシガレットを向かい入れるように開き、確かめるようにゆっくりと白い歯でくわえ込む。そして、当然のように───こんな催促をするのだ。
『火。』
<火をつけますか? つける / つけない>
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