陽はとっぷりと暮れている。場所はスーパーの食料品売場。春日まなみはスーパーの買い物カートを押しながら、バスケットの中身を確かめている。
「タマネギよし、お肉よし、ジャニスさんの猫缶よし、それから…」
「わっ!」
「きゃぁ!」
「今、キミの鼓動がエクスプロージョンしたね。オレには聴こえた」
「コンタクトがずれました!」
「ごめんごめん。直る?」
「な、直りました」
「よかった。あははは」
「笑ってる場合じゃありません!。ちゃんと安静にしていてください。お部屋を抜け出すとジャニスさん寂しがってまた暴れますよ」
「あの夜からずっと吸ってなくって、さ」
レイジは手に持ったキャメルの箱をまなみの視界で振った。まだ未開封。
「な!。ダメです。肺炎なんですよ!?。没収しますっ!」
「ありゃ」
このシーンが漫画だったら『ぐしゃ』という効果音が入ったかも。レイジの手から奪ったキャメルの箱がまなみの手の中で歪んでいた。彼女はくたびれたラクダを彼の目の前へ差しだす。
「ごめんなさい…」
「ううん。いいんだ。よし。このまま禁煙するぞ」
「あ。」
レイジはまなみの手からキャメルを抜き取って、近くに据えてあるゴミ箱へ投げた。ナイス・シュート!
「何を作るのかな?」
「え…あ、カレーです。」
「わぉ。ジャニスが悔しがるな。アイツ猫舌だから。あはは」
「ふふ。あ、でもどうして、わたしだってわかったんですか?。眼鏡を外すと誰だかわからないってよく言われるのに…」
「そうなの?。俺はすぐキミだとわかったよ」
「……………。」
レイジの部屋の灯りが、せせと動くまなみの姿をカーテンへ投影している。道路を挟んで向かいの喫茶店から、その懸命を観察している2人がいた。彼らはまなみの大学からずっと彼女の足取りを追ってきたのだ。窓辺の席で交わす密やかな審査。
「あのヒトのこと看病、してたのね」
「まなみらしいな…」
「どうする?。乗り込みますか、お兄さん?」
「いや…。まなみがあんなに幸せそうな顔で笑うの、初めて見た気がするんだ。だから、やめとく」
「じゃ、帰ろ」
「うん…(ぐぅ)」
「おなか空いた?」
「まなみが買いこんでたのカレーの材料だったろ?。なんか…想像しちゃってさ。はは」
「作ってあげようか?」
「ホント?。食べたい。まどかのカレーが食べたいです!」
「恭介ったらホントにカレーが好きよね。毎回、意の一番にカレーって言ってるような気がしますけど?」
「アレは譲れない美味しさなのです。なんばーわん!。すぺしゃるていすと!。すっかり虜になりました。なんちゃって」
「ふ〜ん。アタシはカレーに負けてるのか…」
「え?」
「思いっきり辛くしていい?」
「激辛上等です。」
「言ったな。救急車で運ばれても知らないゾ?」
「そんなに…?」
「うん。辛さを通り越して寒気がするくらい辛くしてやる…」
「オーダー変更して中辛にしていい?」
「お客さま。当店でのオーダー変更は認められません」
「わ、さ、皿洗いでも何でもしますから、勘弁してください」
この日の夕べはきっと鬱金(うこん)色をして、幸せな辛さをしていたに違いなかった。
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