まなみは昔読んだ少女漫画の中に、独身男性は眉目秀麗なほど部屋の整理に無頓着、という設定があった事を思い出していた。それが真実なら、たとえばルックス『上の下』に属する彼女の兄、春日恭介の部屋の荒れようと比較して、ルックス『特上』に属するレイジの部屋は───扉を開けたその向こうの現実は、まなみの想像を遙かに超越していた。
絶句するまなみへ、レイジが説明をする。
「まなみちゃん。キミは夢の中にいる。今、キミの目の前に広がっている世界は幻なんだ。鼻をつまみたいな、と思える匂いは幻覚さ。全ては錯覚なんだよ。なぜなら、俺の部屋はお花畑だからなんだ。ホントーは色とりどりの花が咲き乱れ、極彩色の蝶が舞い、それを追ってジャニスが飛び跳ねている…」
「み、みえます…色とりどりのゴミ、じゃなくて…お花畑が…ジャニスさん…はじめまして…」
「幻滅しただろ?」
「ううん。やる気が出てきました」
「え?」
「30分時間をください。お苦しいかと思いますけど、向かいの喫茶店で待っていてくれますか?」
「え、あぁ、それくらいは平気だけど、ジャニスがキミを襲うと思う…」
「へーきです。猫の扱いは慣れてますから」
「そ、そう…」
「では、終わったらお呼びします。清潔なお部屋でないと安静にする意味がありません。まかせてください。わたしこーゆーの得意なんです!」
そして、30分経過───。
「まるで魔法だ。オレの中途半端な音楽なんかより遙かにスゴイ…。どーやって掃除したんだい?」
「それは…普通にです。お掃除はわたしの得意種目なんです。ジャニスさんも大人しくしていてくださいましたし、ね?」
なぅー、とジャニスがまなみの脚にすり寄って鳴いた。すっかり手なずけられているようだ。
「わかった!」
(どっきん)
「キミには不精者のオトコの兄弟がいて、ジャニスより凶暴な猫を飼っている、だろ?」
「あ、アタリです」
ハズレなのだが、反射的にアタリと答えてしまった。まなみは心の中で春日恭介とジンゴロへ手を合わす。超能力を使ったことを隠すためであり、致し方のないこと、許したまえ。
「ふふ。今、お茶を入れるよ。座っていて」
「だ…ダメです!。レイジさんは病人なんですから寝ていてください」
「あ、そうだった…」
指にかけたカップから紅茶の湯気が立つ。レイジは半身を起こしてベッドにいる。ジャニスは彼の膝の上で身をよじらせている。まなみは発掘したクッションの上に座り、あらためて部屋を見渡した。6畳ほどの部屋。部屋の古さに不似合いなエアコンがキラリと光っている。常時空調を効かせているようだ。パイプベッド、タンス代わりのカラーボックス、譜面台、アルミの灰皿、キーボードスタンドにはいつも彼が弾いているキーボード、椅子、ダンパーペダル、ヘッドフォン、ブーム式のマイクスタンドにコンデンサマイク、カセットのマルチトラッカー、CDラジカセ、大量のCDとカセットテープなどなど。
「え?。レイジさんってまだ20歳なんですか?」
「そうだよ。老けてる?」
「あ、そういう意味じゃないんです。わたしの兄より1歳年下なのに、レイジさんの方が世慣れているというか、夢に向かって…そう、たくましく生きてるって感じがするんです」
「俺はただ闇雲に突っ走っているだけさ。明日のことも見えやしない…どうしようもないガキなんだ。現にこうやって、キミに迷惑をかけてる」
「迷惑なんかじゃありません。それに、レイジさんの歌を聴いていると感じるんです。わたし感じました。うまく言えないけど…その、ふわぁ〜っと何かに抱擁されるような」
「その時さ、お酒飲んでたんじゃない?。未成年のくせに」
「飲んでませんっ。しらふでした!」
「ごめんごめん。冗談だよ。あ、そうだ…まなみちゃん。CD、そのラックの中からテキトーに選んでかけてくれないか」
「え、と…」
ラックの中のCDは全て洋楽。まなみの知らないアーティストばかり。探すフリをしてテキトーに1枚を選んだ。CDラジカセからその1枚の1曲目が部屋へ広がった。
「キャロル・ベイヤー・セイガー、か……」
レイジは横になり、なるほどそうか、と納得したような表情で吹いた。
「な、なにがおかしいんですか?」
「この曲はジャニスもお気に入りなんだ。オートリピートにしてくれる?」
「はい、…ぽち、っと…」
「ありがとう…俺、少し寝る…」
「寝てください。ジャニスさんの散歩をしながら、お洗濯してきます」
まなみはレイジが吹いた理由を知りたかったけれど、今は彼に休養をとってもらことが最優先だった。彼女はレイジの部屋を出た。キャロ…なんだっけ…アーティストの名前をあとでもう一度確かめておこう──。
|