ダイブする瞬間に見えた光の矢が、鬱蒼と茂った木々の樹冠から差し込む光に変わっていた。

　まどかはくるみの絵を見たとき『チョコ大魔王ってゆーくらいだから、カカオで出来たジャングルにでも住んでる？』と思った。その想像が見事、反映されたようである。土も木々の葉もカカオで出来ていた。どーにもこーにも全くもって不条理な世界。彼女はその中に立ち、自分のファンタジックな想像がもたらした結果に肩をすぼめ、舌を出した。

…あ〜ぁ、やっちゃった……にしても、蒸し暑い…………架空の空間なのに気温も湿度も存在するって事？………戻ったら、シャワーを浴びなくっちゃ…

　光はほとんど高木に遮られているから、地表付近は暗い。出そうだ…オバ…いや、想像するのはやめた方がいい。

　バンダナで髪をまとめ上げると、革のライダーズ・ジャケットを脱いだ。鮎川邸を出るとき、あれやこれやと着込まず、バサッと羽織ってきたのだ。でも、それが結果として吉と出た。厚いオイルレザーは茂みを押し分ける盾代わりになるし、脱いじゃえばノースリーブのコットン・シャツ一枚。ま、それでも、まるでサウナに入っているようだった。とりあえず、ヤツを呼んでみようよ。

　「チョコ大魔王……って…」

　恥ずかしかった。幾ら何でもチョコ大魔王っていう名前を大きな声で叫ぶのは。でも、無計画に歩き回ったって遭遇できる可能性は低い。はい、大きく息を吸ってぇ。

　「チョコ大魔王〜！。出てきてぇ〜！。カカオの粉が欲しいの〜！。返事をしてぇ〜〜〜！」

　してぇ、てぇ、てぇ………　こだまが鳴りやんだ。まどかが再度、深く吸息しよう、胸を張った瞬間！…背後の茂みが動いた。いる？。そこにいちゃったりするワケ？。

　「チョコ大魔王…さん？」

　音がした。
　カンカンカン。
　立木を何か固い物で叩いたような音。
　はい、そうです！と答えているのだろうか。
　音の主は、茂みと周囲の暗さに遮られ、まどかからは見えなかった…チョコ大魔王ってば、大きな声で呼ぶのも憚られる名前に負けないくらい、恥ずかしがり屋さんなのかも知れない。
　まどかは暗がりへ向かって言葉を投げた。

　「脅かしたり、危害を加えるつもりはないの。あなたが持っているカカオの粉を分けてくれない？。それを貰ったらスグに立ち去るから」

　音がした。
　カンカカン。
　茂みからまどかに向かって巾着が投げよこされた。
　カカオの粉ゲット！。あっさり目標達成〜♪。
　にしても、チョコ大魔王はマジで恥ずかしがり屋のようだ。

　「ね、お礼にコレ、食べない？。たぶん、溶けちゃってるけど、味は変わってないハズよ。でもぉ〜チョコは食べ飽きちゃってるかな？」

　まどかにしたら、当たり前の礼を尽くしたつもりだった。が、これが事態を不測の方向へ誘ってしまった。ライダーズ・ジャケットのポケットから取り出した包み。この気温なのだからして中身は溶けているに違いないんだけど。

　音がした。
　カカンカカンカカン　カン♪。
　どこまでも楽しげに澄んだ打音だった。心の底から嬉々とした感情が溢れだした音楽…まどかにはそう聞こえた。

…ふふ、どこかの誰かさんみたいネ。

　「じゃ、そっちに投げるわよ。いい？」

　まどかは巾着が飛んできた方向へチョコを投げ返そうと腕を振った。が、足を踏み出した地面が不意にへこみ、バランスを崩してしまった。ふわ〜ん。あ、これじゃ、茂みの向こう側まで届かない？！。

　けたたましい音と共に茂みが割れた。
　黒っぽい物体が空中のチョコめがけて飛びついた！。
　チョコ大魔王出現〜？。受け身を取ることすら忘れ、獲物をしっかと掴んだ両手。したたかに身体を地面に打ち付けたハズ。チョコごときに捨て身で執着するとは。浅ましいまでに、おっちょこちょいなヤツ。

　「ナイスキャッチ！。やるじゃん。アハハ」

　立ち上がった大魔王。まどかより背が低い。日焼けした肌。腰ミノひとつ。真っ白い歯を見せ、はにかんだ表情。１５歳くらいの少年。脱げ落ちたお鍋の蓋…じゃない…赤い…麦わら帽子を拾い、被り直した。

　「チョコ貰うの、初めてなんだ…ありがとう」

……………………………きょ、恭介ぇ？！

　恥ずかしがり屋さん、どこかの誰かさんみたい。チョコ大魔王に対する鮎川まどかの想像は、真っすぐに少年時代の春日恭介へと帰着していたのだ。くるみの絵を見たときから、春日恭介をイメージしていたのかも知れない。

　あちゃぁ。