「ん?、何にも見えない? ヘンね…」
ひかるが「角度を変えれば、…」と身を屈めた瞬間、入り口の引き戸が引かれ、視界は何かでいっぱいになり、弾力のあるビーチボールようなモノに彼女の身体は、ぼよ〜んとはじき飛ばされた。
「いたたた…」
ひかるは尻餅をついたお尻をさすりながら、衝突した相手を見やった。いや、ずずぃ〜っと見上げた。大きな靴とぉ、丸太ん棒みたいな脚とぉ、つまり、あなたはぁ、お腹?…違う違う。恰幅の良いでっかいガイジンだ。顔には口がどこにあるか判らないくらい濛々と白いヒゲを生やしており、これってヤバイ状況?
「ごめんなさいっ〜ニャ」
とっさに口から出てしまった。恥ずかしい。
ここは小樽。街で見かけるガイジン。
ひかるは条件反射的にロシア人の船乗りかと思ったのだ。でも、彼女はロシア語の単語を幾つか知っているだけで話せるわけではない。
ひかる達の間で密かに流行っている(?)、エセ・ロシア語っていうお遊びがある。日本語の語尾の母音をぐぅ〜んと伸ばしてチェ、ニャ、バとか、伸ばさずにスカヤとかを付けるとロシア語っぽく仕上がる。全然ロシア語じゃないんだけど…響きが可愛らしいので、ひかる達の会話の中には結構、頻繁に登場するのだ。
例えば、「昨日、おデートっだったりしたスカヤ?」「ダー。お茶してエッチしたーニャ」っていう具合。
で、つい、やってしまった。
お店の中の人達も全員、何事かとこちらを見てる。
…まどかさんは?…いない。よかった…。
「こりゃ、すまんのぅ。可愛いお嬢さん!。うわははははっ」
ガイジンは巨体を小躍りさせ、豪快に笑い飛ばした。
大きなお腹がポヨンポヨンと憎たらしげに波打っている。
ひかるが3人は収まってしまいそうなズボンのベルトに括り付けたれた、およそガイジンの風体とは不釣り合いな天使のマスコットが紐も千切れよ、とばかりに踊っている。なんか、その天使も小憎たらしく思えた。
しかも、可愛いだってぇ?。ひかるはムッときた。
アタシはもう高校3年生だゾ。子供っぽい以前のアタシじゃないんだゾ。
あれ?…でも、日本語じゃん!?。
ガイジンは大きく厚い手を差し伸べてきた。ひかるの手の倍以上は軽くある。額面通りに捉えれば「さあ、お嬢さん。この手につかまってお立ちなさい」っていう意味。でも、もしかしたら、そのまま知らない国へ拉致されて売り飛ばされちゃうかも知れない。
ひかるの手は躊躇した。…もう、傷つくのはイヤ…。
「さあ、お嬢さん。身体が冷えてしまうよ」
優しい瞳…ひかるはガイジンの瞳を、そう直感してしまった。胸の奥底に沈む何か温かいモノが、ひかるを呼んだのかも知れない。
大きくて柔らかい手…横浜の中華街で食べた特大中華饅みたい…ぷふっ。先輩ったらあの後、お腹痛くなって…っと、いけない、いけない。
軽い目眩を感じながら、転んだ際、学生カバンから飛び出した中身を拾い集めていると、ガイジンが1冊のノートの表紙を拾い見て驚嘆の声を上げた。
「オォ!ドンダーの角がちゃあ〜んと4つに分かれちょる!。しかし、…サンタが3人というのは、…ぬぅ。しかも、内2人は“おなご”じゃないか」
そのノートはひかるが書いているお芝居の台本。アイディアが煮詰まっちゃって書きかけのままだった。表紙には3人のサンタクローズを乗せたソリとそれを牽引するトナカイ達。ひかる手書きの絵。ガイジンが角と言っているのはドンダーという名前のトナカイの角の分岐の事で、ある映画を参考にディテールにはこだわったつもりだ。
「も、もしかして、…日本担当のサンタさん?」
「ほぉお?。お嬢さんはサンタクロォ〜ズを信じておるんかい?」
「…昔はね。ま、本当にいたとしても、あたしイイコじゃないから、ダメだけど。あはっ♪」
「……。のう、お嬢さん。クリスマスの夜、1つだけ夢が叶うとしたら何を願うかね?」
「え!?」
…あの、ガイジン。マジでサンタさんだったりして…。
ひかるの意識は睡魔の誘惑に沈んでいった。
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